織田信長戦国画像

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2012年 12月 06日

外交面と文化

岐阜城の庭園が話題だ。

信長の館は安土についで岐阜が2番目であろう。
楽市楽座の場面で1番最初であったからだ。

さらに言えば、次に安土に向かうけど、本来なら秀吉が大阪に築いたように、
大阪か神戸あたりに、さらに大規模な海上都市を建設し、
次は湾岸都市を作っていたに違いない。

岐阜の庭園は日本向けのだけど、そのころの信長は国内戦争だけだから
日本向けかもしれないが、神戸や大阪なら、全く違い庭園ができていたに違いない。

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岐阜市の岐阜公園内にある「織田信長居館跡」の発掘調査を進めている同市教委は、金華山ロープウエー乗り場南側で庭園の池の跡を発掘したと発表した。庭園遺構は5カ所目。一帯は3000平方メートルを超える巨大な庭園だったことが6年がかりの調査で浮かび上がってきた。

 池の跡は、南北7・5メートル以上、東西6・1メートル以上、深さ約35センチ。池の中には、庭石が5カ所抜き取られた跡があった。石材は緑色の高級庭石「青石」で、京都の庭園に使われたとみられる。美濃地方では産出されていないため、遠方から運ばれたらしい。池の底には小石が敷き詰めてあった。北東の隅に炭化物が流れた跡があり、小さな滝が造られていた可能性が高いという。

 このほか、池の近くから花崗岩製の「手水鉢(ちょうずばち)」や焼けた壁土が大量に出土した。造営年代は依然不明。

 1569(永禄12)年に信長居館を訪れたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの書簡に残る「居館から庭園を眺めた」という記述を裏付ける遺構がまた一つ見つかったことから、市教委は全容解明に近づいてきたとしている。
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by nobunagaou | 2012-12-06 05:50 | 12月


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